ゲイリー・ホフマン

フィリップ・ビアンコーニ:象牙の内で燃える情熱

 

ビアンコーニの姓と、彼の内に隠された情熱は、イタリアに由来する。この情熱こそが、舞台上の彼を奮い立たせ、聴衆の心を揺さぶる。イタリアは、彼にとって馴染みのある言語がもつ色彩と、彼の幼少期を浸した地中海の熱気がもつ色彩とともに、彼に歌いかける。しかし、ビアンコーニが生まれ育ったのはニースであり、彼を形作ったのはフランスである。それゆえに、芸術家・人間としての彼の内では、冷静さと熱烈さ、慎みと炎が溶け合っている——それらをまとう優雅さと明るさは、彼の佇(たたず)まいと眼差しから滲み出ていると同時に、彼がピアノの前に座るとき、聞き手によって享受されることになる。

若かりし頃のビアンコーニは、めざましい上達をみせ、ニース音楽院を卒業後すぐに、ピエール・コシュローのすすめで数々の国際コンクールに挑んだ。ビアンコーニの音楽家としての歩みの岐路の一つは、マルグリット・ロンとロベール・カサドシュの高弟、シモーヌ・デルベール=フェヴリエ女史のクラスの門をくぐった日である。“歌いなさい!”“聞きなさい!”——今日もなおビアンコーニは、あの洗練された、内なる炎によって奮起した熱心な師から浴びた指示を思い起こすことができる。そして彼は、彼女の言葉を、今やパリのエコール・ノルマル音楽院で彼に師事する生徒たちに伝えている。ビアンコーニは、若かりし頃にギャビー・カサドシュとの出会いにも恵まれた。彼女のもとで、彼は音楽教育を受け始めてから育んできた端正な演奏スタイルと明快な音楽表現に更なる磨きをかけた。いっぽうロシア出身のヴィタリー・マルグリスのもとで、ビアンコーニは独自の濃密なサウンドを見出し、テクストの内奥を和声の深部まで汲み取り、つねに真意に仕える表現性を手にした。そうしてビアンコーニは、一石で二鳥を墜(お)とすことになる! クリーヴランドのロベール・カサドシュ国際コンクールで第1位に輝き、ヴァン・クライバーン国際コンクールで第2位に入賞した彼は、ニューヨークのカーネギー・ホールでのリサイタルを成功させ、アメリカでの華々しい活動を始動させた……そしてまた、フランス、ヨーロッパ、世界各地でリサイタルを行い、世界屈指の音楽家たちと共演を重ねた。さらに彼が、ギャビー&ロベール・カサドシュ夫妻やナディア・ブーランジェの先例にならって、フォンテーヌブロー・アメリカ音楽院の院長を5年のあいだ務めたことは、当然の成り行きだった。

演奏会において、静寂がホールを満たしたときの空気の振動は、ビアンコーニを解放し、彼にインスピレーションを与えてくれる貴重な存在である。彼は時折、一夜でブラームスの協奏曲2曲を弾くといった桁外れな企画に挑む。そして彼は、海と山々に囲まれた南の楽園の一角に戻ると、自身の若い頃のこと、オペラを観に連れて行ってくれた両親のことを思い返す。彼が幼少期に抱いた声楽への愛情は、今後も彼のもとを離れることはないだろう。彼は思い出す——22歳のときに出会った名バリトン歌手ヘルマン・プライのこと、プライとの共演で録音したシューベルトの歌曲のこと、そしてまた、彼とともにウィグモア・ホールやスカラ座やミュンヘンやニューヨークなど世界の舞台に立った8年間のことを……。ビアンコーニが奏でるピアノは、歌い、呼吸し、肉体となり魂となる。そして彼が愛するフランスの大家ドビュッシーとラヴェルはもとより、ショパン、シューマン、ブラームスらが、この詩情あふれるピアニストに全てをゆだね、彼らの宝の秘密を打ち明けることになる。

© Lyodoh Kaneko

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